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追悼:矢次和代さんを偲んで

2020年4月5日

 KAZさんが亡くなりました。長い間 国際理事として日本のCISV活動に貢献された矢次和代さんです。KAZさんを知る誰もが驚きました。誰もが「KAZさんが亡くなるなんて信じられない」という思いでした。
 1992年夏CISV日本は初めての国際理事会(IBM)を開催しました。初めての国際会議をどのように準備、運営すればよいのか、分からないことだらけでした。その時大きな力となったのが実力者のKAZさんをはじめ帰国したばかりのリーダーの皆さんでした。それにつられるようにお父さんお母さん達も積極的に協力しました。KAZさんの笑顔を中心にリーダーも父兄も疲れを忘れて大いに働き大会を盛り上げました。CISVでのKAZさんの活躍はここから始まったと思います。
 その後の10年間をKAZさんは国際ビレッジ委員会の委員として国際理事会で活躍されました。国際ビレッジ委員会はとても仕事の多い委員会です。各国の次年度のプログラムを作成したり、トラブルの解決策を話し合ったりしなければなりません。国際理事会でいつも忙しそうに走り回っていたKAZさんが懐かしく思い出されます。
 1996年トルコの古都ブルサでの国際理事会は古い大きなお城が会場でした。広い食堂の床は一面の大理石でしたが、なにぶんにも何百年の年月ですから破損個所も見られました。そんな場所でKAZさんの転倒事故が起こりました。病院へ駆けつけたところKAZさんは顔面に傷を負っているにもかかわらず何時もの元気な笑顔で、国際ビレッジ委員会の方々が見舞って下さったことを話してくれました。「みんなが『I LOVE YOU!』って言うのよ。私が死ぬとでも思ったのかしら?」といつものように笑っていました。
 1999年のIBMはブラジルでした。ドリス・アレンさんが国際理事会に参加した最後の年です。ドリスさんはすでに百歳に近い高齢に達しておられたのですが、例年と同じ笑顔で最後のパーティーに出席されました。KAZさんも私もアレンさんの握手を受ける行列に並びました。ブラジルの国際理事パウロはダンスの上手な方でいつもドリスさんのお相手はパウロときまっていました。その日もパウロのお相手で、全員の手拍子に囲まれたドリスさんはとても楽しげに踊っておられました。ドリスさんに会えるのはこれが最後と誰もが知っていましたのでKAZさんもみんなと一緒に笑いながら涙をぬぐっておられました。
 KAZさんのご葬儀には冷たい雨の中を沢山の方々が集まりました。お別れは悲しいことですが、祭壇に飾られたいつもどおりの明るい笑顔を拝見して誰もがまた会えると安心しているように思えました。KAZさんは今日もドリスさんと一緒に「地球上の誰とも良くしましょう」とあの明るい笑顔で教えてくださっているに違いありません。
 間もなくお花見のシーズンがやってきます。KAZさん、みんなの献杯をその笑顔で受けてくださいね。

元国際IC委員会委員、元国際ピースファンド理事  濱崎元子