サイトへ戻る

インタビュー 岩崎ひと美さん

2016年12月14日

Q:岩崎さんはもともとCISV 活動をなさっていたのですよね?
A: はい。CISV との最初の関わりは1968 年です。関西支部からフィリピンのビレッジに子どもとして参加しました。その後、ジュニア活動(JB 活動)を経てリーダーを2回、ビレッジのス
タッフやキッチンスタッフをしました。
Q:どういった経緯でミャンマーに行くことになったのですか。
A: 夫が国連職員だったので、海外赴任で行きました。ニューヨークやアフリカのコンゴを経て、ミャンマーには1995 年に赴任しました。夫は当時UNODC という国連機関で、麻薬の取り締まりと貧困からの自立サポートの仕事をしていました。彼はその後、JICA のプロジェクトや、タイの麻薬コントロールセンターの立ち上げをやり、現在はミャンマーの野球のナショナルチームの総監督をやっています。
Q:国連職員からミャンマーのナショナルチーム総監督ですか?
A: はい。今では「ミャンマー野球界の父」と言われていますが、2000 年当時はミャンマーには野球がなく、野球とは何かというところから指導を始めました。(岩崎家のミャンマーでの活躍は「ミャンマー 裸足の球児たち」(岩崎亨著)をお読み下さい。私自身は、ミャンマーで野球チームをみる中で、選手に伝えたいことがうまく伝わらないと感じました。その背景の一つは教育ではないか、そう考えて2004 年にヤンゴン幼児教育開発センターを設立し、幼稚園の先生の養成を始めました。実践教育のために幼稚園を併設し、小学校も現在開設しています。

Q:CISV ミャンマーは、どういった経緯でスタートされたのでしょうか。
A:私がCISV の話を聞いて最初に思ったことは、当時は軍事政権下であり、「人権とか自由とか逆の状態のこの国で、CISV などできるのだろうか。」ということでした。その後軍事政権の移行にあたり、徐々に活動を進めていきました。
 CISV を理解するために、夫と野球チームの仲間が、宮城県で2013 年に開催されたIPP に参加しました。その翌年の2014 年12月には、IPP をヤンゴンで、CISV Japan と一緒に開催しました。
日本人スタッフとミャンマースタッフでホストし、Overcoming Boundary というテーマで、135 以上の民族からなるミャンマーについて学ぶプログラムを作りました。私たちの学校(カエイスクール)をパートナーオーガナイゼーション(PO)として、多民族国家ながら民族が違うだけで、結婚ができない等 、様々な不自由がある現実を見て考えてもらいました。8民族の子ども達を呼んで、1週間デイキャンプなども行い、ミャンマーの最初のCISV プログラムとなりました。
 もう一つの成果はPO のスタッフが「外国人もミャンマー人も違わない。外国人と普通に話をしていいのだ。」と思ったことです。ミャンマーの人が社会に対して良いと思ったことを、身近なことからやることができる。そう主体的積極的に希望を持ち、取り組めるきっかけになればと思っています。それを私はCISV Sprit と呼んでいます。IPP 後、他のプログラムも次々に始め、色々な困難に直面しながらも、少しずつ成長し始めています。現在は、モザイクという国内プログラムを年2回行い、2015 年冬に初チームYM に派遣し、2016 年夏には3 チームをVL とSU に派遣しました。
 私が本当に嬉しいのは、その中で参加者が確実にCISVer として成長しているのを見られることです。また現在も日本との共催プログラムを計画中で、今後もミャンマーという国と共にCISV ミャンマーの成長を見届けていきたいと思います。

 

<岩崎さんの略歴>
CISV ミャンマー会長。1968 年に関西支部からビレッジ派遣。その後もジュニア活動、ビレッジリーダーやスタッフとして活躍。1995 年に家族でミャンマーに移住。2008 年にミャンマーでCISV 活動を決心し、CISV ミャンマーを立ち上げる。